No Real :in the headphone

chime

「つまり……」

 教壇の上に立って喋っていた私は、唐突に続く言葉を失った。私の眼が教室を隅々まで冷たく見回し、誰も私の話を聞いていないことに気づいたからだ。一見聞いているように見える生徒でさえも、喋るのをやめた私の眼を見ていなかった。

 彼ら四十人は、それぞれ互いに話したり、あるいは寝ていたり、聞くふりをしていたりしている。控えめな賑やかさは、私が言葉を失っても、変わらなかった。

「つまり、すべての話は不毛なのだから、真面目な話というのは、笑えないという点において、くだらない話より劣っている」

 そこでチャイムが鳴る。

Her sight

「今何を見てる?」

 彼女が突然私にそう訊いてきた。最後のショートホームルームのあと、少しぼーっとしていた私は、質問の意味を理解できず、答えに戸惑った。

「何を見てる……?」

「えっと、いやいいや。じゃあ、今どこに行きたい?」

「どこにって、よくわからない」

「どこでもいい。なんでもいい。ありえなくてもいいから」

「それじゃ、草原。地平線まで全部草原」

「わかった。じゃあ眼を閉じて」

「何をするの?」

「眼を閉じればわかる。眼を閉じたら五秒数えて眼を開ける。眼を閉じている間は数えるのに集中してね。数えるのに集中。いい?」

「わかった」

 そうして私は目を閉じた。視界が暗くなり、不安になる。彼女に言われたとおり、私は数えだす。

 いち、に、さん、よん、ご。

 眼を

「え」

 開ける。

 私は草原にいた。地平線まですべて草原。透き通る空、私の座っている椅子、彼女、それだけ。教室の喧騒はどこかに消えてしまって、私の眼の前には、一人だけが立っていた。

「今何を見てる?」

「え?」

「草原が見えているならいいんだけど、見えてる?」

「うん」

 混乱しながら、彼女に問いに精一杯答えた。彼女は声を続ける。

「見えてるのってみんな、ただ眼が選んでるだけなの。無意識のうちに、たくさんある何かのなかから、それっぽいひとつを取り出して、見てるだけ。それが一瞬一瞬にあるの」

「この、これは、何?」

「うん。だからね、私は、君が草原にいる状態のをとりだして、見たの。私の視点では、君が草原に私と一緒にいるというだけ。君の視点では、私が君の無意識に干渉して草原を選ぶように仕向けたって感じ。別に場所が移動したわけじゃないの」

「場所が移動したわけじゃなくて、見るものが、変わっただけ」

「そう。君ってちょっとぼーっとしてるのに、集中力があるから、できるかなぁって思ったの。まさか一発でできるとは思わなかったけど」

「これ、戻れるの?」

「見てるものが違うだけだよ。見るものを戻せば戻れる。ついでにいうと過去とか、未来っぽいとこにもいけるよ。もっといえば、なんでもできる。できないことなんてない」

「え、うん。じゃあ、戻りたい」

「自分でやってごらん。さっきまでいた場所を思い出して見ればいいから」

「できないよ。やりかたが、わからないから」

「ねぇ、私自身も、君の見ているものの一部なんだよ。もともと君は見方を知ってるんだ。そうじゃないなら、私はここにいない。私が誰だかわかる?」

 混乱は静まっていた。私の頭で、いくつかのパズルのピースがかみ合う。

 眼を閉じる。ぐるぐると、黒い画面に、いろんなものが見える。

 眼を開けると彼女はいなかった。私は教室の喧騒の中自分の席に座っている。

Musician

 眼をつぶると、空気の中にたくさんの音の点を感じる。私は一つ一つを線で結ぶ。目の前の点と、右手前の点。右手前の点と、真後ろの点。真後ろの点と、足元の点。相性のいいもの同士を正確に繋いでいると、どうしても複雑になってしまう。私の周りを囲むように、点と線で立体を作る。

 繋げ終わって全体を眺めてみる。所々の線や点に触れてみる。それらは既に脈をもっていて、リズムを刻み、運動している。

 私は、繋げはじめの点に触れ、空に向かって手を高く振り上げる。点と線は絡まることなく、空に投げ出される。今日は風の形を上空でつくり、それは私にすこし微笑んで、遠くに飛んでいく。

 これが私の仕事の内容であり、物心ついたときから毎日やっている習慣でもある。晴れた日も、雨の日も、雪の日も、とにかく眼を閉じて、一時間程度点を結んで、飛ばす。それだけを、ただ毎日飽きずに続けている。

symphony11

 空は厚い灰色の雲に覆われていた。地上には、かすかな太陽の光と、放射線。

 みんなが外にでなくなって、どれぐらいが経つだろう。今は、誰も積極的に外にでようとなんてしない。誰も積極的に死のうとなんて思わない。危険だから、みんながみんな、必死に。

 ところで、丘の上にまっすぐ立つ樹の上空だけ雲がないことを知っている人間は、どれぐらいいたんだろう。

 僕がそのことを知ったのは紛れもなく、完全に偶然だった。死のうと思った僕は、危険レベルが高いその丘に登って、頂上の樹の下に寝そべって空を見上げたのだ。そしてそれに気付いた。ごく狭いとはいえ、その部分だけは青い円ができていた。

 その後僕は何度か丘に足を運んだ。死ぬためではなく、その青い円を見るために。外にでる頻度が高いことを不審に思った妹がついてきたこともあった。危ないから、と言ったけれど聞かなかった。僕は帽子をかぶせて連れて行った。帽子なんてなんの意味もないのだけれど。


 それは、丘についたすぐ後に起こった。

 その日は日曜日だった。僕が丘に行こうとドアを開けると、「どこにいくの」と声がかかった。僕は「丘だよ。来るなら帽子をかぶっておいで」と言い、少しだけ待った。

 丘の空を見上げると、いつもより青い円が大きい気がした。妹も気付いたらしく僕にそれについて聞いた。

 その直後。ザーーというノイズ音が耳にフェイドインしてきて、あっというまに轟音があたりをつつんだ。空を見上げると、青い円はさらに大きくなっていた。いや青い円が大きくなっているわけじゃない。青い円は大きさを変えていなかった。ただ雲が落ちてきただけだった。

 小さい円はみるみる大きくなり、丘を包むほどの大きさになった。雲は町並みを覆い、ごうごうと音をたて動き回り、流れていた。合間に時折見えるかつての何かは真っ黒に染まり、見え隠れするたびに、形を失っていった。


 どれぐらいそれが続いたのかはわからない。僕らは手を繋いでそれを見ていた。気付けば頭上には真っ青な空があって、目の前には時間が止まったかつての街があった。

Negative Auto Loop

 きらきらした季節が過ぎて、嫌に空気が澄んだ季節がやってくる。空気が澄んでると感じるのは乾燥のせいって気象予報士が言うのを私は見ていた。私だけの部屋で、テレビの音だけが浮いていた。

 登校の支度をして外に出ると、空気が肌を刺す。私は既にマフラーに埋もれている下あごをさらに埋めようとする。でもそのマフラーも、まだ冷たい。

 少し歩き、広い通りに出たとたん眩暈がした。いつもと何も変わらないはずなのに、目の前を通る人たちがもくもくと、何処かへ向けて歩いていることが気持ち悪かった。

 彼らはなんのために歩いているんだろう。私はなんのために歩いているんだろう。なんのために?

 私は目を閉じて、考えていることを止めようとする。自動的な私の思考が、私に問いかける。私は、聞かないように、聞かないように。

 しばらくして落ち着くと、私は歩き出す。この季節になると強く感じる空っぽの気分。これだから私は、冬が嫌いなんだ。

Over the blossom

「君の嫌がることはしない。約束する。俺は君のことがもっと知りたいんだ」

「無理よ。なぜならあなたは私を知らない」

「だから、君の事を……」

「私は私のことを知らない人と一緒にいるのが嫌なの。あなたは最初に私の嫌がることはしないっていったじゃない」

「じゃあ君はこれから、誰とも友達になったり、恋人になったりしないんだろうか? それで君は幸せなのかい?」

「幸せじゃないかもしれない。でも私の期間はとっくにすぎたの。だからいいの。もうこれ以上話したくないの。だから、さようなら」

Fall on Sky

 都会の突起物の上にいると、世界が少し広く見える。空は特に。夜風に吹かれながら、疲れた眼を少しこすった。

 「大人になると星が見えなくなっちゃうから」

 数年前少しだけ仲が良かった女の子がそんなことを言っていたことを、唐突に思い出した。どんな会話の流れだったかは全然思い出せないのに、この言葉だけが中に浮いて鮮明さを保っている。

 空を見上げると、まだ星があった。子供のころの記憶よりは少ないが、見えることは見える。まだ星があった? 違う。そもそも住む場所が変わったのだ。明るい都会では星の数が減って当然だ。当然なんだ。

 一旦眼を閉じて、開ける。瞬きより少し長いぐらいの時間をかけて。

 眼を開けて、最初に見た星に、手を伸ばしてみる。中指の先が、星に……触れる直前、その星は消える。わかっていた。こうなることはわかっていた。

 結局、過去の自分は彼女に届かなかったし、今の自分は夜空の星に手が届かない。だからここにきた。自分を星にするために。

Z

 二十歳になった夜、僕は部屋で独りだった。高校の修学旅行で買ってきた沖縄の青いグラスに、近くのスーパーで売っている五百円ぐらいの白ワインを注いで飲んでいた。

 去年の誕生日とはワインがあるかないかぐらいの違いしかない。何も変わらない。僕も、僕をとりまく環境も。

 少したってから、あらためて物心ついたときからの記憶をなぞってみることにした。

 幼稚園のころ。好きだったホウズキの果実や、それで作った風船。冬の日に白鳥を見に行った川原。幼稚園の体育館へ走る自分。そのころ、僕に雨の日はなかった。

 小学校のころ。古い校舎が建て直され、旧校舎・プレハブ・新校舎と、二年ごとに環境が変わった。旧校舎のころに見たあじさいはもうない。銀杏の木と、桜の木だけが残った。そういう変化を、無邪気なまま僕は見ていた。少しの友達と、季節と遊びながら。

 中学校のころ。一小一中だったので、通う校舎と、着る服と、気持ち以外は何も変わらなかった。誰かが喋る。僕が笑う。僕が喋る。誰かが笑う。

 高校。母親が他界し、父親と二人暮らしになった。二人暮らしといっても、父親はあまり家に帰らない人だから、そんな気はしなかった。はっきりしない意識のまま登校する。机で寝る。誰もいない家に帰ってくる。それだけ。

 その後僕は誰でも入れるような大学に入った。自分が何もできないことを知り、周りに誰もいないことに気付いた。順調に状況は悪化し、少しづつ、いろんなものを失くしていった。

 僕は持っていたものを消費しただけで、何も得ていないことに気付いた。今僕にあるのは、僕以外誰もいない部屋と、雨がふきつける窓、少しのCD。

 誕生日に、一人部屋に閉じこもっている人間に、何ができるだろう? 僕はどうしたらよかったんだろう? どこかに分岐点はあったのか? その分岐点で、他の道を選ぶことが可能だったんだろうか?

 そこで僕は考えるのをやめて、横になり、眼を閉じる。

Throw-up

「君とは何一つ分かり合えないかな」

「君とは、ってことは誰かとは分かり合えるってこと? 私はそうは思わないけど。結局誰とも分かり合えないんじゃないの?」

「ごめん。その点では君と分かり合えるかな」

Holographic Memory

 透明な立方体を太陽にかざして見ていた。中に細かく何かが刻み込まれたそれはきらきらと光を反射させる。

「君の記憶?」

 誰かが僕に話しかける。僕は頷く。

「太陽に長くかざしてたら消えちゃうよ」

 誰かが言う。

「もういらないから」と僕は答える。

 僕は十八個目の立方体をじっくりと太陽の光にあてていた。これで最後。

 そして、日が暮れて、僕は立ち上がる。誰かがまた僕に話しかける。

「どうするつもりなの?」

「リセットするだけだよ」

「バックアップを焼いたくせに」

 誰かがそれ以上何かを言う前に、僕は頭のスイッチを内側から切り替える。少し遠くから、カウントダウンが聞こえる。僕はそれを聞きながら、ポケットの中の立方体を全て地面に落とす。あと5秒。

 4・3・2・1……

Closed Surface

 登校日のロングホームルームのあと、私は少しため息をついた。それが暑さからきたのか、夏休み中の登校日の面倒くささからきたのかはよくわからない。

 せっかくきたのだから、と思って学校の中を少し見て回った。夏休み特有の、少しだけ埃っぽい、そんな雰囲気。一通り歩いた後、プールに行こうと思った。ただなんとなく。

 プールの入り口は施錠されていたけれど、鍵ごと動かせるドアなので入るのは簡単だった。校舎から聞こえる誰かの声が、少し遠い。

 プールサイドで水面を見ながら、私は起きながらにして夢を見ていた。小学生だったころにいった公園のプールや、その日の空の色。少し疲れた青いあじさい。風の音と、少し遅れて揺れる緑の葉の色。そういうことが、私の頭の中を、自動的にかけめぐる。

 気がつけば空が茜色に染まり、光はプールの水面に反射してきらめいていた。私は、誰もいないプールで、日が落ちるまで、その光が踊るのをずっと見ていた。

Room With Tender Walls And No Roof

 少し前の話。

 気がつくと見覚えのない場所にいた。数メートル四方のスペースに、十メートルほどの壁がまっすぐ立っている場所だ。見上げると空があり、そのときは群青色に雲が少し浮かんでいた。

 壁はこれ以上ないくらいに真っ白だった。さわってみても凹凸が感じられない。床も白。おかげで高い壁があっても、太陽があるうちは暗くはなかった。

 何がなんだかわからなかったけれど、出口はないし、壁を上るのも不可能なので、出ることはすぐに諦めた。見上げて見える空以外に見るものはなかったけれど、お腹は減らなかったし、不思議と寂しくもなかった。夜は真っ暗だったから、いろんなことを考えて、どうせだからいろんなことを忘れようとしてみた。そんな感じで一週間ほど(よく覚えていない)寝たり起きたり、余計なことを考えたり、空をただ眺めたりしたと思う。

 そんなある日、朝起きて空を見たら――というより勝手に眼に入るのだけれど――雲が灰色で、雨が降り出しそうな感じだった。ずっと晴れているのもおかしいか、と思っていたら、案の定雨が降り出した。それも、かなり強く。

 降り始めて気付いたのは、この場所には水が抜ける穴がないこと。つまり、雨水がたまっていくのだ。雨は本当に強く、あっというまに足がつかなくなってしまった。

 そんなこんなで、長い間、立ち泳ぎをしながら息をついていたのだけど、だんだんと疲れてきてしまった。空も近くなってきて、もう少しで溢れるんじゃないか、と思ったとき、唐突に僕は意識を失った。想像以上に疲れていたのかもしれない。

 気がつけば懐かしい匂いのする部屋にいて、誰かが僕を呼んでいた。壁は白かったけれど、高い壁ではなく、天井も、ドアもあった。

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