No Real :in the headphone

Turn

 あるきっかけで、忘れていた言葉を思い出した。きっかけで思い出したと言っても、すぐに思い出したわけじゃない。きっかけ自体はささいな(本当にささいな)ことだった。それは自分の状況をよく考えていた時、唐突に頭に響いたのだ。

 その日は夏から秋へと変わる不安定な時期のある日で、霧雨が降って外は肌寒かった。僕はいつものように学校へ行こうと電車に乗り、吊り革に掴まって立っていた。そこそこ混んでおり、もうすこし都心に近くなれば満員電車になるだろうという感じの車内だった。

 二駅めでドアが開いた時、中年のちょっと太ったサラリーマンが乗って来た。ドアの近くの吊り革にいた僕は、軽く彼にぶつかった。よくあることだ。別に誰も気にしはしない……と思ったのだけど、甘かった。

「邪魔なんだよ。まったく」

 とそのサラリーマンははっきり言った。

 僕は正直何があったのか、一瞬全く理解できなかった。なぜ今ここで、混んだ車内で、心臓ぐらいしか大きく動いていない僕が、ぶつかられたサラリーマンに怒られるのか。しかしとっさに僕は

「すいません」

 と謝ってしまったのだ。

 僕は結局次の駅で降り、次の電車を待った。そしてその待っている時間にいろいろ考えた。どうすればその状況を回避することができたんだろうとか、あのサラリーマンが何を考えていたかとかいうこと。でも何もわからなかった。霧雨で肌寒い中、ベンチに座ってホームのコンクリートの汚れを見ていただけだった。なぜだか手は固く握られ、それを動かすことがどうしてもできなかった。

 そのホームで、僕以外の誰もが他人だった。何かを誰かに話したかったけれど、話せる人なんていなかった。それをまた考えていたらふと笑ってしまった。ホームの人に限らずとも、僕にそんなよくわからないことを話せる人なんていないことに気付いたからだ。家にも、学校にも、どこにも。

 結局次の電車が来たことに気付かず、その次の電車に乗って最寄り駅で降りた。

 そして改札を出て、霧雨に包まれながら歩いているとき、その言葉は響いた。

「掴むものがないと爪が食い込んで痛いわ」

 正直な話、どんな文脈でその言葉を聞いたのさえよく思い出せなかった。ただその声が、言葉が響いて、僕の心を空っぽにした。意味が保留されていた言葉が、一瞬で心の奥まで届き、意味をもって心の空気を吸い込んだ。

 何もないなんてことを、手のひらの痛さとその言葉が、明確に、直感的に僕に知らしめ気付かせた。そして気付いた僕は掴むものが欲しかった。何でもよかった。だから、霧雨がうっすらと湿り気を残すだけで形にならず、雲を掴もうとした手が何も掴まなかったりしても、それを少しの間繰り返した。

The Superficial Brave Girl in Hell

 姉さんがいなくなってから、もう一年か。なんだかすごく慌ただしい一年だったようにも感じる。でもそんな中思い出す一期間を切り取ってみれば、すごくゆったりとした一年だったようにも感じる。

 少し僕の姉について話をしようと思う。姉はたぶん誰からの第一印象でも「明るい人」とされるほど、活発で輝かしい人だった。そして僕の面倒をよく見てくれる姉だった。小学生のときの姉は姉の友達と積極的に遊ぶというより、僕らの友達に混ざっていることが多かったと思う。中学に入ったあたりで、そういう事もさすがになくなってしまったけれど。

 姉はすごく優等生だったように思う。僕が高校に無事に入れたのは、ほとんど姉のおかげだ。小学生のころからずっと勉強を教えてもらっていたし、しかもその教え方がうまく、質問への答えもいつも適切だった。といっても質問するほどの疑問がでるまえに、先回りして説明してくれていたから、殆ど質問なんてしたことがない。

 確か部活動は美術部だったかな。人物を美しく絵にするのが得意だったと思う。何度か僕も似顔絵を描いてもらったけど、どう見ても本当の僕の二倍いい顔をしていた。ちょっと悔しいのでその絵はもらわなかった。今思えばもらっておけばよかったなって思う。次いつ描いてもらえるかわからないのだし……


 そんな姉もときどき、自分の部屋に閉じこもって、すごく静かにしていることがあった。たぶん高校二年ぐらいからだったと思う。勉強しているのかと最初は思ったのだけれど、どうもそういう様子でもない気がした。なんだかこう、あまりに静かで、「ただそこにいる」ぐらいしか感じなかったから。それについて僕は気になってはいたけれど、そのときのドアがあまりに大きくて、どうしても開けて入ることができなかったし、声をかけることも思いつきもしなかった。

 そんなこんなで、姉は高校三年の秋にこつ然と消えてしまった。その日も部屋にこもっていて、すごく静かにしていたから、正確に何時消えてしまったのかはわからない。気付いた僕は小さくなったドアを開けて、誰もいない部屋を隅々まで探した。ベッドの下。本棚の中や奥。テレビの裏。場所の関係で部屋に置かれた洗濯機。

 静かな部屋で、洗濯機の蓋だけが完全に、ただぽっかりと口を開けていた。僕がそれを覗き込むと、何もないドラムが洗剤の匂いを出していた。

 普段と違うところがそれまでにあったか、なんて全然分からない。よくよく考えてみれば、僕は姉のことなんて、それほど多く知っていなかったように思える。姉の好きな食べ物ってなんだっけ? なんで絵を描き始めたんだっけ? 趣味って絵以外に何かあったのか?

「洗濯機ってどこに繋がってるんだろうね」

 なんて、一度訊かれたことがあったな。このときからもう、変化が始まっていたのだろうか。それともずっと前からだろうか。姉はいつからそうなったのだろう。なんでそうなったのだろう。気になりだすと止まらない。果たしてどうやってその答えを探せばいいのだろうと、一年間考えた。結局、最初に感じた違和感と、いつかの言葉を、繋ぎ合わせて実行するしかないんだろうな。

 だから僕は今日、この部屋にいて、たぶん訪れるであろうそのときを待っている。これが正しいことかはわからない。誰にとって幸せなのかもわからない。でも、それが口を開けて、たぶん姉がいる場所につれてってくれるのを僕は望む。

Dancing, 10:00 PM

 十時ぐらいに散歩に出て、公園で彼女を見かけたよ。薄暗く照らされた薄い芝生の上で、彼女は踊っていたんだ。その芝生が小さなステージに見えて、少し見とれた。

 彼女が僕に気付いて、「私っておかしいでしょ? たまに無性にここに来て踊りたくなるの」と、踊りながら言った。僕は少しまた見とれてから「同じだよ」と答えた。

 どれぐらい時間が立ったかわからない。公園のそんなに高くもない木の葉がこすれ合う音と彼女の静かなステップ。ずっと続く

A new world

「見て! ほら」

 彼女の楽しげで、良いものを見つけたような声で、僕は眼を開いた。一瞬の眩しさのあと、緑色の風景が、さきほどから感じていた緑色の風で穏やかに揺れていて、春になりかけの日を演出していた。その中で彼女は冷たさ混じる風に髪をなびかせ風景にとけ込み、それを見ていると、僕自身さえ、なんだかそんな全てに含まれているような感覚になった。

 ここだけが世界で、ただ穏やかで、きっと天国というものがあるなら、こういうものなのかもしれないと思うような。日々感じていたはずの胸の下の毒は消え去って、変わりにその緑色の風が体中の血管を駆け巡り、満たしていた。時々見える黄色に何故だか笑いたくなり、眼をまた閉じれば残像とともにさらさらとした音が心地よく、風の匂いは青かった。

 手を広げて寝転がった彼女を見て、真似をしてみる。腕にあたる草はひんやりとしていた。雲がゆるく動いているのに見とれ、肩の力も抜けてしまった。少しそうやってとどまっていれば、太陽が体を焼いて、眠くなってくる。

「ずっとこうしていられればいいのにね」

 そんな言葉を最後に聞いて、また暗闇に落ちていく。

world.delete(self)

今日電車にのっていて、隣のホームに降りるたくさんの人を見ていたよ。あの人たちのどれだけが、いらない人だろうって。

Gall in Girl

 胸の底からじわじわ浮かんでくる汚いものが肺までせまってくるんだ。私は最近、これが楽しくてしかたない。遠足行く前の日のドキドキと、この汚い気持ちは、きっと同じだ。

 ずっとこの気持ちを忘れないように、しっかりメモ用紙を汚すんだ。でもメモ用紙を汚した分だけ、自分のものは失われてしまうんだ。また思い出せるように、地に足がついた感じを忘れないように。

 誰かが私をおかしいやつだと云うんだ。でもいいんだ。ずっともう、そんな人たちとは違う世界にいるのだから。

 私はずっともう独りで、ちゃんと生きていく。ちゃんと。

A Morning

 しかたないから起きるんだ。そうしないと、みんなに怒られるから。死んでいいって言われるから。でも最近思うんだ。別に死んだフリでも、生きていればいいんじゃないかって。

 誰も僕の相手をしなくなったよ。「十分オトナになった」って、どこを見て判断したんだろうね。このままで僕がどうなるのか、僕は知っているよ。すごくリアルに想像できるんだ。

 高校生のときも、しかたないから家では起きたフリをしていたよ。でも学校では死んだフリをしていたんだ。いつか誰かが起こしてくれると信じてさ。そのときもみんな、僕を見ていなかったよ。身体が透明だったのかもしれないね。それをまた繰り返す。

 でも、うまく繰り返せないんだ。中途半端に僕が見る世界が広くなって、中途半端に僕を見ている人がいるから。ちゃんと透明人間になれないんだね。

 時々通学路で見る鮮やかな青だけを、今も綺麗だと覚えている。それ以外に何を見ていればよかったんだろうね。

 いつになったらこの遊びが終わるのかなんて、よく考えるよ。その気になればすぐにでもやめられるのに、僕は既に自分の考えていることすらよくわからないね。

Your Empty Surface

「ごめんなさい」

 上っ面らのそんな言葉で、そいつはまた逃げに走る。その言葉で、責任が降りると思っているんだろう。確か昔のクラスメイトにそんなやつがいたな。そいつのことをふと思い出した。優等生ぶって、「ごめんなさい」だけをしっかりするやつだ。俺はそいつが大嫌いだった。心の伴わない言葉ほど、汚いものはないと思っている。

 「思っていることを全て言ってはいけない」と、昔のクラスメイトが言っていた。そいつのことを俺はひそかに尊敬していた。人に対して絶対に偏見を持たないやつだった。アイデアが溢れていて、相手の感情をうまくコントロールして、いい方向に導いていけるやつだった。そいつは今はもういないんだけど。

 祭の日の騒々しさを覚えているが、祭が楽しかった思い出はない。ちょっと噛んだだけで味が無くなるガムがあるだろう。そんなものが全部嫌いだ。

Foolish

 想像力がない人が、僕の逃げ道を塞ぐ。想像力のない人が、僕の話を聴かない。今なら彼があの時なぜそういったのか理解できるよ。自分以外が本当に何の役にも立たず、自分以外は他人のことを考えないこと、自分の想像力と、孤独を強くすることの重要さだったんだね。

 例えばあの時僕が、彼女に言葉をあげられたら、僕は救われただろうか? しかしたぶんそれでは彼女は救われなかっただろう。僕は、僕自身がいかに役に立たないかを知っている。それと同時に、僕は、僕がどの程度までのことができるか知っている。例えばあの時僕が、彼に意見をすることはできただろうか? しかし主導権は彼だったのだから、意味のない言い争いになり、迅速性が失われることになっただろう。

 想像力のない人が街を歩き回り、想像力のない人が世界をつくり、想像力がある人が排除されて、死んでいく。

 何が残酷かを君はわかるだろうか。たぶんわからない。

 想像力のある人たちを救えるだろうか? しかし救うためには位置が重要だ。その位置を得るために、自分の想像力を失くしたら、想像力のある人の気持ちを想像できないだろう。想像力のある人は絶対に救われない。幸せになれない。

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